特別支援教育・インクルーシブ教育

インクルーシブ教育・合理的配慮というけど一体どうすれば?

 こんにちは。大阪こどもリハ訪問看護ステーションの中野です。

 近年、インクルーシブ教育とか合理的配慮という言葉が教育界隈で取り沙汰されています。

 今から約100年前高木憲司氏が「療育」だったり、肢体不自由児の治療・教育を受ける権利について主張したのが、我が国におけるリハビリテーションの始まりと言われています。

 そのことから考えると、ここに来るまでに100年かかったわけです。

 これが遅いのか早いのかは分かりませんが、少なくとも当時と比べ、現在の方が様々な制度が整うスピード、知識や技術が広まるスピードは早くなっているでしょう。

 しかし、そのスピードについていく現場は大変なものです。

 今回は、インクルーシブ教育や合理的配慮に対して保育・教育担当者がどのように取り組むべきか?についてのアイデアについてシェアしたいと思います。

まずは完璧を求めないで下さい

 インクルーシブ教育、合理的配慮というのは素晴らしい考え方であるというのは誰しもが納得するところでしょう。

 最終形態としては、どの保育園や通園施設、小中学校、あるいは特別支援学校のどの機関を選んでも、その子にとって理想の保育・教育を受けられる状態です。

 しかし、いきなりこの理想像を求めたら失敗します。

 そして、親御さんにもお願いがあります。現場の先生方は必死にこの素晴らしいシステムに取り組み始めました。

 最初から完璧なものはありません。

 介護保険制度でさえ、始まって16年経過しているにも関わらず未だに錯綜しています。日本情勢も刻々と変化する中、完璧(に近い)なものというのは中々作り上げられるものではないのです。

 お子様の事を考えると、一刻も早く合理的配慮を!と思いたくなる気持ちも痛いほど分かります。

 しかし、100年の時を経て、ようやくここまで来たということをご理解頂きたく思います。

出来ることからコツコツと

 インクルーシブ教育・合理的配慮と言っても難しく考えないで下さい。

 思想としては「バリアフリー」です。バリアフリーというのは、障がいを持つ人にとっても健常者にとっても住みよい環境を意味しています。

 例えば車椅子ユーザーでも使いやすい広い廊下やエレベーターというのはそのまま健常者にとっても快適な空間となります。

 まずは、今の保育・教育現場をより快適にするにはどうすべきか?という視点にたってみてはいかがでしょうか。

 例えば、雑多な環境とスッキリした環境、どちらが良いですか?表現が抽象的過ぎて申し訳ないですが、恐らくスッキリした環境の方が保育も教育もしやすいでしょう。

 しかし、一般的な小学校はどうでしょう。

 先生の机がドドンと前に置いてあり、その机の上には生徒からの提出物が山積み。黒板の横の掲示板には給食当番や掃除当番の割り振りや時間割、挨拶をしっかりしましょう的な標語まで入り乱れているのではありませんか?

 私が雑多と表現したのはこういう部分です。

 そして、子ども達の机の上も同じです。何かをするスペースが限りなく狭くなっていないでしょうか。その教科書は本当に机の上に出ていないといけませんか。視聴覚教材はどうでしょう。光の反射、子どもの位置から見えやすいように工夫されていますか?

 こういう小さな配慮の積み重ねこそ、インクルーシブ教育・合理的配慮に繋がっていくのではないでしょうか。

おわりに

 制度が変わる時、考え方が変わる時、時代の流れが変わる時…。

 その時代を生きる人間にとっては大きなストレスになりますし、けどそれを乗り越えれば理想に一歩近づくことができます。

 医療・介護・福祉の考え方が大きく変わろうとする時代を生きる私達の行動は、未来を良くするかどうかの大きな節目にあると言えるでしょう。

 だからと言って個人の努力で大きな事を起こせるわけではありません。

 まずは小さなことからコツコツと。これがポイントです。そして、最も取り組みやすいのが物理的な環境整備。保育・教育環境を今一度見直し、少しずつ取り組んでみてはいかがでしょうか。

 そして、重ねてにはなりますが、親御さんはその現場の努力をどうか温かい目で見守っては下さらないでしょうか。よろしくお願い致します。

 あ、でも、全く取り組んでくれない!っていう場合はせっついて下さいね。

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