特別支援教育

何でも『発達障がい』にする事で楽してる?療法士のすべき事

 こんにちは。作業療法士の中野です。

 今ボクが関わっている放課後等デイの中に4人兄弟全員利用者って方達がいる。

 ボクが関わらせてもらったのは下から2番目5歳の男の子。

 ボクの娘が丁度5歳ということもあって、ちょうど比較しながら関わらせて頂いた。

 もちろんうちの子の方ができる部分もあるが、そのお子さんの方ができる部分もある。つまり、個人差の範疇というか、正常発達の枠は外れてないと思うよっていう印象。

 何で放課後等デイを利用しているんだろう…。

 そんな経験を通して感じたことをシェアしたいと思う。

親も先生も『発達障がい』で楽してませんか?

 お兄ちゃん、お姉ちゃんも発達障がいだったし、この子が言うこと聞いてくれないのも発達障がいだからかも?

 親も先生もこういう風に考えたらちょっと楽になる。

 自分の責任ではなく、障がいのせいだから。

 昔は自閉症スペクトラムも含めて生後の環境要因だと考えられていた。つまり、子育てが悪いと。これは母親を傷つけ、間違った支援を行う結果となっていたという点で問題だった。

 それは今では間違いだという認識が広まっている。もちろんそれで良い。間違いではない。

 しかし、発達障がいだからって先生の指導法や親の子育て法に問題がないという証明をしているわけではない。

 発達障がいは往々にして、環境要因(つまり指導法や子育て法)により重度化する。同じ障がいでもしっかり働けるようになる人もいれば、引きこもり、不登校やニートとなる人もいる。この差は環境要因だろうね。

 発達障がいだからこそ、より丁寧にユニバーサルデザインの指導であったり子育てをすべきなのに、そういう努力を行わなくても良い理由にしちゃってる人がいるような気がしてならない。

障がい作ってませんか?

 ぶっちゃけ、冒頭で例を挙げたご兄弟に関しては『作られた』障がいだという気がしてならない。

 今はまだ、本人が自分が障がいを持っているとか、他者と比べて劣っているとか感じていないから良いけど、健常でも障がいがあるというレッテルを貼られ、そういう扱いをされれば障がいが表出されるようになる。

 ご両親に関しては、延長保育よりも安くつくからなんて考えてるんじゃないかな?とか思ってしまう。

 先生もそういうレッテルを貼ってしまうことで、子どもに他の子と同等の結果を求めなくなる。それって楽だよね。先生の怠慢。

 こういう関わりや対処が障がいを作っているケースが結構あるんじゃないかな?って思う。

ちょっと変わった普通の子に対する療法士の役割

 「いやぁ、よく出来てますよ。気にすることありませんよ。」

 って言える療法士はどれくらいいるだろうか。もちろん、ボク達の仕事は診断ではないので明言は避けるべきだ。

 お母さんも特に困っていない、あるいはお母さんが気になるって点が正常の範囲内である、お子さん自身も特に困っていない。

 こういう状況であれば作業療法を提供しようがない。

 「ボク(私)の出る幕はございません。」程度は言えるよね。

 そういう状況でも、何かやろうと思えばできるよ?ちょっと上の発達段階を目標にして、それを獲得するための関わりはできるんだから。でもね、それはリハの仕事ではなく、親や先生の仕事。

 そういう親や先生の仕事に対してボク達が援助できることは間違いなくあるけど、それは障害福祉の制度でやるべき仕事じゃないよね。

 私達の関わりは必要ありませんと言える療法士になることも重要である。

おわりに

 仕事をしないことも仕事になる。発達障がい児と家族に対する関わりにおいてはそういうことも必要になってくるんだろうなと思う。

 でも受給者証とか発行する役所にそんなこと言える人居ないもんな。

 だから、作業療法士を役所にも常駐させるべきやよね。いや、常勤でなくても、例えば市の障がい児施設からの派遣とかでも良いから少なからず関わっていたら現場の作業療法士がそんなセリフ言わなくても良くなる。

 昔はサービスが受けたくても受けられない時代だったが、今は豊富にある。それでも十分かと問われれば不十分なこともある。サービスの必要ない人に枠とお金を使うことは社会悪である。

 こういう見えない犯罪を防止していくこともボク達な重要な仕事になるのではないだろうか。ってことで、今回はここまで。ほな、また。

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