卒後教育

理学・作業療法学生や新人療法士への教育法についての検討

 こんにちは。作業療法士の中野です。

 京極先生が書かれた4年前のブログに感銘を受けた。

参考:よい指導とは何か?〜懲罰的指導から教育的指導へ

 過去、ボクを担当した教育担当者の教育法を『懲罰的指導』か『教育的指導』かに分類してみた。もちろん『どちらでもない指導』も存在していて、それはその立場に応じて『やる気のない指導』だったり『ぶっちゃけどうなっても良い指導』とかに分類されるのだろうと思う。

 で、ボクが過去教育的指導を受けたのは『小学校3年生』『専門学校3年間』の時の恩師、『2人のビジネスメンター』、『3人のリハメンターからの指導』計7名の指導者からの指導こそ教育的指導だったなぁと。

 そして、ボクが受けた懲罰的指導は『小学校5〜6年の担任』『高校野球部の顧問』『評価実習のバイザー』『某社の上司』の4名。

 こんな感じで分類してみると、ボクは教育担当者に恵まれてるなぁ。笑

 でも、ここに挙げた教育担当者以上に多いのが無関心の担当者って事だよね。害は無いけど得もない。いや、得がないことがもしかしたら長い人生においては害か。

 恐らく良い指導者が2割、悪い指導者が2割、どちらでもない6割の指導者から如何にして学ぶか?が人生を豊かにするんだろうな。

 今回は、この京極先生のエントリーやボクの経験を踏まえて、学生は新人に対する指導法について考えてみたい。

教育において重要なのは目的である

 教育において重要なのは対象者を育てる、成長を促すという目的である。

 決して、教育担当者の思い通りに動かすわけではないし、企業においては企業の売上の為ではない。

 実習においては、スーパーバイザーの思い通りに動かすことでもなければストレス発散のはけ口でもない。

 教育とは、如何に対象者の成長を促すか?ということである。その結果教育担当者にもメリットがあるだろう。

 ここに、懲罰的指導と教育的指導を当てはめるとするならば、教育本来の目的に沿った指導は教育的指導で、教育者のエゴや本来の目的からずれた指導を懲罰的指導と言えるだろう。

「怒る」「責める」がダメなわけではない

 懲罰的指導と聞くと人前で怒鳴られたり、必要以上に質問攻めにされるなどをイメージする人が多いと思う。もちろん、これらは懲罰的指導の一種だろう。

 しかし、怒ったり、責めたりすることの全てが懲罰的指導なのではない。

 親は子どもに怒る事がある。特に生命の危険がある場合や、他者を傷つけたり、その恐れがある場合ボクは子どもに対して「怒る」という手段を取る。

 それが子どもたちの成長に繋がると思っているし、思っているだけではなく、何故怒ったか?まで説明している。これは教育的指導ではないだろうか。

 「怒る」とか「責める」というのは手段の一つである。だから、怒ったから懲罰的指導をしてしまった…とか教育者が悩む必要はないだろう。

 教育を受けている側も怒られたから、それは全て懲罰的指導だと感じ拒否していたら成長の機会を失うかもしれない。

 手段ではなく目的が重要であることを再度強調しておこう。

では、どのように教育すべきか?

 これは実はそんなに難しいことじゃないとボクは思っている。いや、実際に自分ができているかは別としてね…。笑

 自分の欲求や組織の欲求、利益、その辺を一切考慮しないということだ。教育とは教育者の義務であるが、利益を上げる手段ではない。奉仕の心がなくてはならない。だから、本来そのようなステージにいるものしか教育はできないのだ。

 だが、環境によってはまだまだ未熟な教育者も存在する。だって、平成生まれの子どもが既に28歳になっているんだから。

 ボクも含めて未熟な人間が教育を担当するから感情的になって、何で分からないの、何でできないの、何で私がしないといけないのって本人の利益だけを考えてしまう。

 するとその教育は残念ながら懲罰的指導となるだろう。

 相手の利益(成長)だけを考えて、そのために順を追って指導できることが教育的指導である。

 教育対象者の状態(到達レベル)を評価して、目標を立て、プランを立て実施するのが教育的指導。理学・作業療法のプロセスと同じだ。

 クライアントにできることなのだから、学生や部下にもできるはずなのである。

もし懲罰的指導を受けたら…

 ボクは過去、懲罰的指導を受けた時に『逃げる』とは『負け』だし、『(自分の)弱さ』だと思っていた。

 だけど、そうじゃなかった。逃げる事こそ手っ取り早い効果的な方法だ。

 戦うというのも手段だが、懲罰的指導をする指導者の中にもどうしようもない奴もいる。そういう奴とは関わるだけ無駄である。

 自分の指導のまずさを認めることができないからだ。

 そういう所からはさっさと逃げ出すのが御の字。早めの決断が重要だ。

 しかし、実習のように簡単に逃げ出せない場合もあるだろう。そういう時はまず学校に相談、無理なら弁護士に相談だね。弁護士から連絡があってビビらないバイザーなんて居ないだろうし。

 逆に指導者側は弁護士から連絡が来ようが、警察から連絡が来ようが、自分の指導は教育的指導だと自信を持って証明できる教育を行うべきだろう。

おわりに

 ボクも今、訪問看護事業においてスタッフを雇用しているから教育の難しさについては痛感している。

 以前、整体の方で人を雇った時にも難しさから逃げたので。笑

 今度は逃げられないなぁと。

 人格形成においても努力し、経営者として、教育者として成長できるよう頑張りたいと思う。

 ってことで、今回はここまで。ほな、また。

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