雑記

理学・作業療法士の向き不向きと、天職のあり方について?

 こんにちは。作業療法士の中野です。

 先日、当ブログが某理学療法士さんにfacebookでシェアされた。そして、そのコメント欄に頂いたご意見で向き不向き論争とそれを教員やスーパーバイザーが判断できるのか?的なものがあった。

 それはボクの誤字が発端であったコメントだったのだけど、その件について書いてみたいと思う。

頂いたコメント

 人が特定されてしまうので、頂いたコメントを要約したいと思う。

  • 向き不向きはあるかもしれないが、志があるならそれは教え方の問題
  • 向き不向きといってもトップアスリートレベルと部活レベルでは違う
  • 見た目で自分達の将来の適正までを判断されたくは無い
  • 何とかしようと思えれば、学力等なくとも、モチベーションだけで勉強できる

 これがご意見のまとめ。

 これはボクが『一定レベルの学力がない人を学校は入学させるべきではない』と書くべきところを入学するべきではないと書き間違えたところからなのだけど…。

 この方のご意見はぶっちゃけ甘いと思った。

 学力がなく、モチベーションだけで勉強したとしよう。結果でませんから。

 見た目で学生の将来評価してませんから。

 トップアスリートレベルと部活レベルで向き不向きのラインは違うが、ボク達はトップアスリートレベルで評価されるべきですから。

 志があるなら、バカにはなりませんから。いや、仮に志だけで頑張ったことを評価して合格させたとしよう。迷惑するのはクライアントですから。

向き不向きなどボクは評価しない

 と、ちょっと甘いなぁと思った点について書いたが、別にボクは学生にしても、自分とこのスタッフについても向き不向きを評価したこともないし、しようとも思わない。

 ぶっちゃけどうでも良いからだ。

 不向きで困るのはクライアントでも会社でもなく本人だからだ。だから、向き不向きを評価できるのは本人だけなのだ。

 不向きでも結果出せばそれで良い。不向きでも賢ければそれで良い。向いていてもバカは使えないし、向いていても結果出せなきゃ不要。

 どれだけ結果出してても不向きなら本人が仕事や勉強していて面白くないだろうし、充実しないと思う。逆に向いていても結果だせなけりゃやっぱり楽しくないだろう。

教員・バイザーが評価するべき事

 プロ養成の過程において、プロセスが大事とか言わないで欲しい。大事なのは結果。結果出せるならそれで良い。

 結果だせない奴を臨床に出してほしくない。

 ただし、学生の場合は『しっかりとした指導のもと』結果だせれば良い。だから、指導なしに結果は求めない。新人もね。

 その上で不合格になるのなら仕方ない。下のエントリーで書いたような学生は不合格になっても仕方ない。

参考エントリー:理学・作業療法実習を落とす(不合格になる)学生の特徴とは?

 だからバカは実習に出さない、言っても聞かない奴は実習に出さない、それは学校に判断していただきたいし、将来そうなることが予測される学生は1〜2年の間に判断してあげた方が学生の為だし、そもそも入学時点で(いくら定員割れしていても)バカは合格させるべきではない。っていうのがボクの意見だ。

おわりに

 アメリカの理学療法士は博士以上、作業療法士修士以上が最低条件である。

 これは最低限バカがプロにならない良い仕組みだと思う。

 天職とは『できること(能力がある)』『好きなこと』『稼げること』の全ての条件を満たす職である。

 理学・作業療法士という職が好きで就職できれば最低限の金額は稼ぐことができる。だが、結果を出すという能力がない人はやっぱり理学・作業療法士として幸せにならないし、何よりクライアントに迷惑をかける。

 ボク達の仕事は、直接的に他人の人生に迷惑をかける可能性があるのだ。それではいかん。

 もちろん、学生の時点で将来結果を出せる療法士になるかどうかは分からないが、ボク達の仕事はバカにもできる単純作業ではない。

 こういう事書くと怒られそうだけど、それくらいボクは自分の職に誇りをもっているし、簡単なものじゃないと思っている。

 それを簡単なものと化している現状が問題なのだ。現状のボク達の扱いが問題。その為にもバカを増やすべきじゃない。

 将来の業界も踏まえると、仕組み自体を変えていかなければならないタイミングなんだろうと思う。

 ってことで、今回はここまで。ほな、また。

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