雑記

理学・作業療法士は参加を目標にして機能面へもアプローチすべし

 こんにちは。作業療法士の中野です。

 昨日、ボクの作業療法士としての夢が一つ増えた。

 フラジャイルの長瀬君の影響受けすぎwww

 とまぁ、ボクは今日から絶対的な存在になれるよう、更に精進していく所存であります。

 さて、今回はICFについて。昨日Twitter上で交流して下さっている理学療法士さんと簡単に意見のやり取りをした。

 またまた、活動と参加、そして機能面へのアプローチについての話。

 そろそろこのネタ飽きてきたので、多くの方の指標になるような内容を書いてみたいと思う。

活動と参加に着目するってどういう事?

 活動と参加に着目するって事についての見解があまりに広すぎて迷う人が多いんだろうなぁって思う。

 それには『参加』という単語の持つ意味合いに惑わされるからなんじゃないだろうか。

 参加となると、会合への参加だったり、イベントへの参加だったり、何かしらの催しに参加するというイメージを持つ人が多いと思う。

 しかし、ICFでいう参加というのは催しへの参加だけでなく、『所属』とか『役割』とか『目的』とかそういう事も含んだ意味で用いられている。

 なので、ここで『参加』というものを再定義したいと思う。

参加を再定義する

 参加とは何だろうか?

 参加とは、人生の目的である。

 これが、ボクの参加の定義である。

 人生の目的、生きる意味とかとも言えるだろう。高齢者であれば『生きがい』とかと言っても良いのかもしれないな。子どもであれば『遊び』や『通園・通学』がその時点での生きる目的になるかもしれない。

 目標なんてない、生きがいなんてない、という人がいるかもしれないが、それは言語化できていないだけで、潜在的には必ずほぼ全員が持っている。目標がない人は目標を失ってから1年半以内に死ぬというデータが出ているらしい。(※聞いた話なので本当かどうかは知らないけど。)

 リーマン・ショックの時にとある投資家が100億の資産を6億にまで減らしたらしい。それによって彼は絶望し、自ら命を断ったそうだ。彼にとって生きる目的は投資で勝ち続けることだったのかもしれない。あるいはお金そのものだったのかも。この例は極端な話だけど、目標を失ったら人は死ぬという一つの例だろう。

 つまり、今生きている大半は生きる目的、目標を持っているのだ。それが参加だ。

活動を再定義する

 では、『活動』とは何か?

 人は『参加』する為に『活動』する。そして、『活動』によって新たな『参加』を求めるのだ。

 活動とは、参加を実現する為の行為であり、またその行為によって新たな参加を欲する。

 このような定義でどうだろうか。

 参加する為に人は様々な活動する。そして、様々な活動を通して、新たな参加に興味を持ったり、求めたりするようになる。子どもなんて見ていたらこれが顕著に見られる。

活動と参加の相互作用

 うちの娘の、とある日の光景だ。

 公園へ行くと『滑り台を滑る』という目標(参加)の為に『走る』『登る』という行為(活動)を行う。そして、走ったり、登ったりを繰り返していると余裕が出てきて、滑り台の上からふと景色を眺める。すると、もっと面白そうな『ブランコ』を見つける。次は『ブランコを漕ぐ』という目標に向かって、急いで滑り台を滑り降りて、またブランコに向かって『走る』『漕ぐ』という行為を行う。

 ブランコを漕いでいると隣のお友達が、ブランコから飛び降りて、その距離を競いだした。すると『遠くまで飛ぶ』という目標に向かって、『反動をつける』『手を離す』という行為を行う。

 まさに公園での子どもは、参加と活動の相互作用によって生きていることが分かる。

活動と参加の相互作用のベースにあるのが機能

 人という構造をなしていて、関節や筋肉が正常に動く、関節や筋肉を正常に動かすための神経の動きが正常であることが『活動』と『参加』の相互作用を生み出している。

 もちろん、活動毎、参加毎に必要な機能は多様であり、全てが必要なわけではない。だから、障害があっても活動と参加は可能なのだ。

 例えば『股関節伸展制限』という障害があっても歩けるし、歩けることで参加できるとしよう。だとしたら、股関節伸展制限は別に障害じゃない。しかし、股関節伸展制限のせいで歩き方がおかしくなっていて二次障害が予測され近い将来参加が阻害されると予測されるならアプローチの必要が出てくるかもしれない。

 このように障害を捉えるのに『機能面』の問題を言うのではなく、参加や活動が阻害されている状態を障害と捉えようというのが活動や参加に着目するということなのではないだろうか。

 つまり、『障害とは、機能の制限ではなく活動や参加の制限』であると言えるだろう。

まずは目標設定

 先程も書いたように、目標は参加ベースで考えるべきだろう。

 参加ベースでの目標設定する方法については、『ICFの「参加」にアプローチするという事をジョハリの窓から考えてみた』に書いたから参照にしてほしい。

 本人や家族も気付けていない参加について、気付かせてあげるというのも大切な仕事なのだ。

 で、その参加が阻害されている原因を考えよう。『歩けない』という活動制限が原因かもしれないし、『屋内環境』という環境因子の問題かもしれない。あるいは『股関節親展制限』が大きな問題になっているかもしれない。

 ボク達は、参加ベースで目標設定し、その原因を潰す(直接的アプローチ)、あるいは他の方法で参加できるようにする(間接的アプローチ)、あるいはその両方を行い、クライアントの参加を支援するのが仕事だ。

 活動や参加に着目するというのは、機能面を無視しなさいという意味ではない。

 活動や参加を目標にして、アプローチしなさいということである。活動や参加って書くから分かりにくいが、両者の明確な分類ができていないから現状こう表現されるのだろう。

 ボクは『参加』に焦点を当てたアプローチと表現しても良いと思っている。

 あぁ、そういえばボクのこういう思考回路を作ってくれたのも今川先生だったなぁと思う。つくづく感謝だ。(参考エントリー:故・今川忠男氏に捧ぐ!小児リハに彼ほど尽力した人は居ない

参加を変な風に捉えるな!

 参加とはあくまで主体的なものであり、生きる目的である。

 だから、集団リハのグループに参加させることを参加へのアプローチだなんてアホな解釈はしないでほしい。

 マクラメや革細工の作品を作って、展示することを参加へのアプローチだなんて解釈も絶対ダメだよ。

 もちろん、クライアントが作品作りに生きがいを感じていて、それを展示し多くの人に見てもらう事が大きな喜びになるってんなら話は別。やった方が良い。でも、その場合『個展を開く』くらいの発想で居て欲しいと思う。

 いやいや、リハ室の前に飾るだけ?あなたの人生それで満足?って話ですやん。それで十分って心から思ってるならそれでも良いけど、ボクはそういう人は少ないと思うよ。

 ここ間違えると痛い奴になるし、こういう人が機能面へのアプローチを否定しがちなんだと思う。

 でも参加と活動の本質を理解していたらこんなことにはならないはず。

まとめ

 参加に着目することが何故機能面へのアプローチを否定しない事に繋がるのかは今回の内容で理解して頂けたかと思う。

 機能が参加の阻害が大きな原因である場合、そしてその機能が改善する見込みのある場合は徹底的に機能へアプローチすべきだろう。もし、機能が改善する見込みがない場合、その機能を代替機能を探すわけだ。

 参加と活動という定義が曖昧なものを、恐れ多くも再定義してみた。しかし、こう考えると色々辻褄があって、分かりやすくなるんじゃないかな?

 もし、この定義に問題があるなら教えてほしい。

 協会の方や、厚生労働省の方へ。この定義を共通理解のツールとして使いたい場合はご連絡下さいませ。笑

 ま、冗談はさておき、臨床家は今一度ちゃんとICFを理解する努力をした方が良いかもね。

 ってことで、今日は長くなったけどここまで。

 ほな、また。

ICF 国際生活機能分類―国際障害分類改定版

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