雑記
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障害とは何か?について再考した。リハビリテーションは奥が深い!

 こんにちは。作業療法士の「なかの」です。

 大晦日に酔っ払って雨の中除夜の鐘をつきに行ったら、足首をグネって捻挫した。笑

 1週間もかからずに治ったのは、紛れも無くボクの反射神経の賜物だろう。ヤバイと思った瞬間に足首にグッと力を入れられたからこそ大怪我にならなかったはずだ。酔っ払っててもそれだけの反応ができるボクもまだまだ若いなと勝手に満足している。

 ま、そんなわけで新年5日目にして走り初め。軽くのつもりが最初2kmを飛ばしすぎて、最後はしんどかった。やっぱり若さはない。(どっちやねん!苦笑)

大晦日にグネッた足首がほぼ回復したので走り初め。無理せず軽くと思ってたけど、最初2kmを飛ばしすぎてグロッキー。やっぱりキロ6分半~7分くらいで無理せず走るのが良いなぁ。今日は天気良かったけど、モヤが…PM2.5かなぁ…。ヤダヤダ。

Posted by なかの だいすけ on 2016年1月4日

 PM2.5の影響か空がモヤっていて、空気は悪かったが、やっぱり走ると気持ちが良いものである。みんなも走ったほうが良いよ。健康を提供する仕事をボク達はしてるんだからね。

 さてさて、現在訪問看護ステーションの事業計画書作りを相も変わらず進めているが、すると色んな問いにぶち当たる。昨日は障害とは何か?というまた難しい問題にぶち当たった。

 リハビリテーションは主に障害者を対象に行う。んで、その障害とは、リハビリテーションの定義に合わせると『権利の喪失、損傷、停止』などと言えるだろう。

 でも、まぁ、分かりにくい。事業計画書に書く内容じゃない。なので、事業計画書に書けるように、つまりは一般の方やご家族に説明する上でボク達はどのように理解すべきか?を踏まえて考えてみたのでシェアしたいと思う。

権利の喪失感の実態とは?

 リハビリテーションの目的は権利の再獲得であり、ボク達はその目的にそってアプローチすべきであるというのは別のエントリーで書いた。(参考エントリー:リハビリテーションの目的とは何か?を考えながら作業療法すると分かりやすい件

 日本人は日本で生活する限りにおいて様々な権利を頂いている。基本的人権、生存権、自由権に始まり、著作権や知的財産権などもそうである。

 例えば脳卒中後遺症で片麻痺を持ったとしても、それら権利を失う理由ではない。健常者も障害者も平等に権利は持っている。

 しかし、多くの障害者はそれら権利の『喪失感』を感じるかもしれない。

 それは何故だろう。

 例えば何らかの著作権を持っている人が障害を負ったからといって、それまで得ていた書作権料を得られなくなることはない。だから、ここにおいて喪失感は(恐らく)ないだろう。

 知的財産権も、特許などもそうだろう。恐らく障害を持つ前後で変わらないと思う。

 だが、多くの障害者は権利の喪失感を抱えている。ま、だからリハビリテーションなどというものが生まれたのだから当然だ。

 では障害者の持つ権利の喪失感の実態とは一体何なのだろうか。

 これは完全なるボクの仮説だが(だってボクは健常者だし、障害者全員にインタビューしたわけじゃないから実際は分からないので)、障害者の持つ喪失感は『居場所の喪失』ではないだろうか。

 以下、その詳細について解説したい。

居場所の喪失とは何ぞや?

 ボク達は今ここに居る。そしてそれを許されている。

 凶悪犯罪者はその権利を奪われるケースが少なくとも日本においてはある。(死刑がそうだ。)

 障害者は別に死の宣告をされるわけではない。生活のしにくさはあるものの生きる権利はあるし、自由である。

 『今ここに居る』とは、あなたが時間と空間を占めている事を意味する。ボク達は時間と空間の中で生きる権利を有しているのだ。

 だが、障害をおうことによって、この時間と空間に歪みが起こる。認知機能障害や意識障害でのことではなく、あくまで『感覚』の問題だ。今ここに居る許可を得ていない感覚。存在を許されない感覚。生きている価値なんて無いんじゃないか?という感覚。障害者は、その心や身体の不自由さによって『今ここに居る』権利を喪失した感覚を持つのではないだろうか。

 この仮説に則って考えると、障害とは『今ここに居る』という感覚、つまり今ここに居ても良いんだよという許可を得ている安心感の喪失のことを言うのではないかと思うのである。

現代社会は障害者だらけ??

 あなたの居場所はどこですか?

 今、この居場所がない人が増えているのではないかと思う。

 ストレス社会、格差社会、高齢社会…。社会は負のスパイラルに陥り、ボク達の居場所はどんどん狭くなっている。

 『サードプレイス』なんて言葉が出てきてから久しいが、世の中には居場所をなくし、居場所を求める人が増えているようだ。

サードプレイス―― コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」

サードプレイス―― コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」

 でも、自分で探し求められるなら障害者じゃない。つまり、居場所をなくし、且つ自分で探し求められない事を障害というのではないか。つまり、リハビリテーションとは『居場所作り』あるいは『居場所探索の手伝い』なんじゃないかなぁと思うのだ。

 心身の機能的不自由を負ったことによって生じた『居場所の喪失感』を再獲得する過程こそリハビリテーションだろうと。

まとめ

 少々、難しい話になってしまったが、今ボクができうる最大限分かりやすい表現だ。

 人が生きる上で、居場所は必須である。時間的な場、空間的な場が存在しているから、ボク達は生きていられる。『無』の中での存在などありえないだろう。だって『無』なんだから。

 その時間的な場、空間的な場は実際は失っていない。しかし、そこに存在しても良いという許可が無ければ、失っているも同じである。

 で、その許可を自分で取り付けに行ったり、許可を得ずとも安心できるのであればそれは障害ではない。

 それが難しい状態こそ障害であり、リハビリテーションの対象となるのではないだろうか。

 ボクはそれを『居場所の喪失』と表現したが、ま意見は様々だろう。あなたはどうだろうか。

 ボクは、クライアントにも従業員にも居場所を提供できるような場所を作りたいと思っている。

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