評価と治療

理学・作業療法士の技術を上げるためには「これが普通」だと思わない事が大切!

 先日の旅行から学んだことをまとめてみた。(参考エントリー:四国圏内で働く理学療法士・作業療法士はJR四国にバリアフリー化を訴えるべき!

 滋賀出身で大阪在住のボクにとっての普通が覆される大事な気付きだった。

 人の人生に影響を与えるものとしてICFはすごくよく考えられた指標である。

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 健康であることは、それにまつわる様々な影響を受け健康だったり、健康を害したりするのだ。

 これは人生においても同じで、人それぞれ十人十色であるからボク達は「普通」に当てはめて考えがちである。

 ホームと電車の間の隙間を埋め、段差を解消するなんてボクからしたら当たり前の取り組みだと思っていた。しかし、現実的にそうではない場所も多数あるのが現状である。

 大阪の普通が、四国では普通ではなかった。

 これはセラピストにとって、評価・治療の技術を上げるために非常に重要な考え方だと思ったのでシェアしたいと思う。

例えば検査結果の数値も普通などない

 この数値が〇〇以上か以下かによって異常の有無や病気の診断に使われたりする。

 しかし、それは人種や住んでいる国や地域、進行している宗教だったり食文化によって大きく異る。

 例えば腸の長さは人種によって異なる事は有名な話だ。日本人は比較的長いと言われている。それによって病気のなりやすさや他国と比べて検査値の基準値が違ったりする。

 つまり、「普通はこうだ」と考えてかかると大きな見落としをすることになるかもしれないのだ。

日本の中でも大きく違う

 日本でも地域によってバリアアリーの度合いが違うのは前出のエントリーで述べた通りである。

 バリアフリー化が進んでいない地域のセラピストは、いかにしてバリアフリー化をすすめるか、あるいはバリアのある中でいかに生活をやりやすくするか?という視点で評価・治療するだろう。

 しかし、都会で住んでいるセラピストは生活環境が多くの場面で整っているから、あまり環境を問題視しないかもしれない。

 だが、例えば引っ越しや転勤に伴い、クライアントの属性が変わることは多いに考えられる。ボク達はどのような環境においても、よりレベルの高い評価、治療をクライアントに提供するために「これが普通」だという考えを破棄しないといけないのだ。

「これが普通」だという考えを破棄するためにはどうすべきか?

 では、ボク達は「これが普通」だという考えを破棄するためにどのような取り組みを行うべきだろうか。

 人間には「信念」だったり「セルフイメージ」だったり、己を正当化するための機能が備わっている。「防衛機制」とは、人が心の平穏を保って生きるために備わった機能である。

 防衛機制が働く以上、ボク達は「これが普通」だと考え、それを逸脱した考えを排除したり、何らかの形で「普通」へ加工し認知する仕組みになっている。

 だから、「これが普通」だという考えを破棄することは非常に難しい。

 だとすればどうすべきか?

 それには「普通」というものの幅を拡げること必要がある。

 ボクが前出のエントリーでチャレンジレベルの旅を計画するのは自分の(精神の)ストレッチをすると述べたが、まさに自分にとっての「普通」の幅をストレッチさせていくことが重要なのだ。

 これも普通、あれも普通と考えられるようになればボク達の評価・治療技術は格段に上がるだろう。

 白人も普通、黒人も普通、黄色も普通。

 キリストもブッダもモハメッドも普通。

 洋式も和式も普通。和食も洋食も中華も普通。

 このような幅で普通を捉えられるようになると、クライアントやクライアントを取り巻く環境を見るに当たり盲点を作りにくいのではないかとボクは考えているのだ。

まとめ

 ボク達人間に元来備わっている機能は、ボク達を生きやすくするというメリットをもたらす代わりに、変化に対し柔軟に対応できなかったり、普通以外を排除する(つまり認識できないようにする)というデメリットを持っている。

 ではどうすれば良いか。それが「普通」というものの幅を拡げるということである。

 自分にとっての普通の幅を拡げることで、認識できる世界が広がるのである。

 そのことはつまり、クライアントを幅広い視点でとらえ、包括的な治療プログラムを組める事を意味する。

 ボク達は評価・治療技術を高めるためには普通の幅を拡げる努力をする必要があるのだ。

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